平瀬酒造(上一之町)

蔵特徴(歴史)

蔵元・平瀬酒造は、天神山(藩主金森氏六代107年間の居住跡・現在の城山)のふもと、城下町の一画、海老坂にあります。創業年代は定かではありませんが、菩提寺の過去帳には元和9年(1623)より記録され、約400年、15代続き今日に至っております。

元禄8年(1695)の検地帳には高山一之町村、平瀬屋五郎兵衛とあり、同10年(1697)の造酒屋帳に高山の造酒屋56軒が記載されておりますが、その中に平瀬屋六助の名があります。

天保14年(1843)、造酒屋は約半数の26軒となりましたが、当時の町年寄日記には、酒造米八十八石ニ斗および、平瀬市兵衛の名も書かれ、その日記は現在も高山市郷土資料館に保存されています。

大正元年(1912)、地域火災延焼により仕込蔵・文庫蔵を残し、住宅他酒蔵数棟を全焼しました。また翌年には、12代目当主は疲労のあまり床につき、二週間後に逝くなどの、相次ぐ不幸に一時はどうなることかと心配しましたが、主従一丸となり苦難を乗り越え、再興に至っております。

大正4年(1915)頃、灘では清酒という新しい酒ができて大変好評との話しを聞き、辰馬酒造に見学し、丹波より杜氏を招聘して飛騨で初めて清酒を造りました。その清酒を『灘流正宗』と銘々し発売しましたところ、非常に好評で、次第に製造量を増やし現在の基礎を造りました。

第二次大戦後、財産税、富裕税、農地解放と矢継ぎ早に新政策が施行される等の大打撃を受けた中で、何とか危機を乗り越え、14代目当主が、工場の改築・設備の近代化を行い、家業(酒造業)の発展のため努力しました。

いつの頃からか、平瀬家では代々平瀬市兵衛を襲名し、『他の商売には如何なることがあっても振り向かない。酒造り業一筋に生きる。』を家訓とし、今も固く守り継がれております。

酒造り

飛騨地方には、酒造りに必要な自然の恵みが見事に揃っています。まずは米。

酒造りに適している米は、私たちが主食にしている品種ではなく、酒造好適米と呼ばれるものです。『酒米は大粒心白を以て最上となす』言われるように、米粒が大型で、中心にある白色の部分にあたる心白が大きいのが特徴です。

飛騨地方では、岐阜県が生み出した“ひだほまれ”という優良な酒造好適米が栽培されています。ひだほまれは、手間がかかる上に限られた量しか収穫できない、農家泣かせの米です。

しかし、『地元の良質な米で、飛騨ならではの旨い酒を生み出したい』という一心で、農家と蔵元が一丸となり、日夜情熱を傾けているのです。

酒造りにおいて、重要な原材料となる水。

製造過程においても欠かすことができないもので、膨大な量を必要とし、その質は酒の味を左右する大きな要因となります。特に雑菌や鉄分、マンガンが含まれた水は、酒質を劣化させる原因となります。

久寿玉の仕込み水は宮川の上流、位山、川上(カオレ)岳に降った雨が麓で地下に潜って(水無川)ろ過された伏流水を使用しています。非常に不純物が少なく硬度が10.0ppm(アメリカ硬度)しかない超軟水です。昔はその地まで水を汲みに行っていましたが、昭和29年(1954年)に高山市の水道事業が水無川を取水地としたため、高山市内にこの水が供給されるようになりました。良質な水をふんだんに使用出来る環境が、久寿玉の酒造りを支えています。

WEBサイト
https://kusudama.ocnk.net/
代表銘柄
久寿玉(くすだま)
電話番号
0577-34-0010
住所

〒506-0844 岐阜県高山市上一之町82

営業時間
9:00 ~ 17:00
定休日
日曜日

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